2016年12月22日木曜日

私の場所って。

早めのこんばんはです。
 
久し振りにcalling出来たので、書いておこうかと。
ちょうど冬至でしたからダウナーな感じで然程救いが無いです。
 
私は深淵にて人間として終わりを望んでいる。悲しみより深く、絶望には足を捉えらてていない。
後生(生まれ変わり)スケジュールを掲げられていたが、一度私は全てキャンセルをした。
 
だが、緑色(?)の光を纏った使いはそのキャンセルを撤回して、4500年までのスケジュールを提示した。
 
そこまで一言も言って無かったが、提示後に
「もう終わらせたいと思っているが、そなたは未だ逢うべき人に逢っておらず、本当の今生の意味をわかっていない。」
と一言。
すると私の後ろから先祖らしいご老人が
「生き続けてたもれ。辛かろうが生き続けてたもれ。」
「ここで主が死ぬと本当に全てが無くてしまうわい。」
と悲しげな声がした。
 
これらが昨日おりた言葉で、今日は私が生きれる場所について整理した言葉が伝わってきました。
今日のはひたすら説明な言葉でした。
 
”そなたは度々「己の生きるべき、云々」と言っていたが、生きやすい場所なら確認できるぞ。
 
その場所は、命が溢れ出る海の近くではなく、山の麓のような空が近い場所でもない。寧ろ、都会の芥な場所にあるBARみたいな所でのんびり酒をあおっている。そういう場所でも自分のペースで生きてるのが実は一番あうと見えた。
 
ヒーラーとしては確かにおかしいと思うが、そういう事もありえるとしか言えない。
一般的に体の事を考えて養生できるからと言っても必ずしも心の養生にはならない。所謂「癒される」場所にいても心が癒されなければ、自分にとって「癒される」場所ではない。
 
体に悪い食べ物(ジャンクフードなど)でも、自分にとって一番のソウルフードならとやかく言われても捨てるべきではない。
音楽でもお前さんの好きなjazzで言えば、聴きやすく綺麗なjazzでも、お前さんようなスモーキーなjazz好きにとっては演歌やアイドルソングと同じにしか聴こえない。却って一番聴きたくないのがその類のものである。
 
今、儂が何故このような事を言ったのは、主は今片田舎であたかものんびりしているのに拘らず、心では情念がかった猥雑さかつスモーキーな環境の方が落ち着くだろうなと感じたのだ。
ただ、常時猥雑では気が滅入りまた病気再発になるだろうから、適度に離れて落ち着ける場所が近くにあるのが最適かと思うのだよ。”
 
この項目については十分に腑に落ちたなぁと思います。